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創作まとめ

【光が差し込む暖かな小屋で、彼女は目を醒ます】

眩しすぎるほどの太陽の光を浴びて、彼女は目を覚ました。




何かの倉庫だろうと思う以外は何もわからなかった。
狭い小屋の壁や床には、いくつもの木箱が積まれ、並べられていた。高窓からは外の光が差し込み、小屋の中を明るく照らしている。
横になっていた体を起き上がらせると、脚に微かな痛みが走った。随分と長い間、この場所に倒れていたらしい。下には薄汚れた布が積み重なっていた。

--ここは、どこ?

頭がうまく働かない。今、なぜここにいるのか、どうやってここへ来たのか。それまでの記憶が全く思い出せなかった。
それどころか、ここがどこなのかもわからない。知らない所であるとこは確かだ。心当たりのないことに答えは見つかるはずもなかった。

「目は覚めたかい」

突然、どこからともなく声が聞こえた。
部屋を見回しても、この小屋の中には自分以外誰もいないように見える。窓の外から聞こえたのだろうか。気のせいだったのかと考えていると、ちらりと目の端に何かが動いた。白く、細長い、得体の知れない何か……。
普段の心持ちであったなら、悲鳴をあげていただろう。しかし今、するりと姿を現した『何か』の正体をはっきりと目の前にしても、彼女は言葉を発することなく、ただ眺めることしかできなかったーーその姿に見惚れてしまっていたのだ。
白い鱗は淡い虹色に輝き、光を反射させて流れる一筋の川のように煌めきながら、艶かしく、地を這い、揺らめいていた。
指先が触れそうな程の距離まで近付いた時、ようやく『それ』が『蛇』であることを思い出し、彼女は体を強張らせる。
蛇はするすると丸く体を巻いて、頭を上げた。

「目は覚めたかい、エン」

先程聞こえたものと同じ声だった。静かで、落ち着きのある男の声。
まるで蛇が喋っているようだ。自分は夢でも見ているのだろうかと、無意識に目を閉じかける。

「この姿では、理解し難いか?」

シュウ、と息のような、鳴き声のような音を立てて、蛇は目を閉じた。すると強い風が吹いた。彼女は反射的に目を閉じ、両腕で顔を隠す。突風が止み、目を開くと、巻き上げられた塵が光を浴びてきらきらと舞い、その中心には、白い服を纏った白髪の男が立っていた。

「この姿なら話せるかい、エン」

男が語りかける。その声は、やはり先程と同じものだった。
蛇が男に変わったのか。いや、男が蛇だったのか。不可思議な現象に目を疑う。しかし、不思議と恐怖は無かった。彼を見て、彼女は問う。

「『エン』……というのは、私のことですか?」

彼は頷く。

「ああ、そうだ。主が、君に与えた『名』だ」

「あるじ……?」

自分の名を聞いても、はっきりとしなかった。それは本当に私の名前だっただろうか? 疑うにも、記憶が思い出せない今、証明することもできない。
男と目が合う。金色の瞳が彼女を見据えている。

「君は、主に近付くため、あらゆるものを己から切り離した。過去の名も、記憶も」

過去の名も、記憶も、切り離した。
そう語る男は、まるでそのどちらも知っているような口調で話す。

「……あなたは……誰ですか?」

「私は、ラクナ様の遣い。君を、主の元へ導く者」

『ラクナ』の名を聞き、彼女は目を見開いた。
失われた記憶とは違う、彼女自身が、自身を創り出しているものの中に浸み込んていた名前。
自らの名前を思い出せずにいても、それだけは明確に憶えていた。
そうだ、自分は彼を追い、彼の元へ辿り着かなければならない。
それが自分が存在する『定』だと。

「私は、『あの人』を追って、ここに?」

「そう。君は主を追い、『扉』を開いた。君の居た『世界』を切り離して」

ただ、と男は続ける。

「いくつかは、まだ切り離せずに、残ってしまっている」

そう言って、男は彼女の体を指した。俯いて服を見る。
途端に、胸がざわついた。忌々しさが思考を荒らし、視界がぼやけて眩暈のような感覚に襲われる。

「君の居た『世界』の残骸だ」

白いシャツには泥がつき、擦り切れて所々が破れている。紺色だったであろうスカートは泥や埃で薄い灰色に変色している。着ている服よりも、目の前の木箱にかけられている麻布の方がまだ綺麗に見えた。その布を掴むと、服を隠すように羽織った。
この服装が直前まで自分の居た世界のものらしいことは、己の身体が、嫌悪として憶えていた。

「……そう、ですね」

露出した腕や脚には、泥や埃だけでなく血も滲んでいた。改めて見れば、服だけでなく、自分の肌もひどく汚れている。
震える身体を押さえつけるように、両腕に力を込めた。

「……怯えなくていい」

男が彼女の肩に触れる。呼吸がだいぶ荒くなっていた。

「謂わば、ここはまだ、中間地点だ。次なる場所で、全て、取り払えばいい」

男は彼女の顔を見て、微笑む。白い姿をした男は、背に日の光を浴びて、ひどく眩しかった。
しかし男の手が触れた時から、彼女は自分の身体の力が抜けていることに気が付いた。

震えが止まり、呼吸も落ち着いている。再び、男の顔を見た。

すると、ぐうう、と間の抜けた音が響き渡った。出どころは彼女の腹の中。

「……まずは、空腹を満たすことが、先だろうか」

ぐう、と腹が鳴った。思い出したかのような内臓の違和感に気恥ずかしさがあったものの、どこか、懐かしさを感じていた。
男は木箱の中から拳ほどの丸い果物を手に取り、差し出した。

「お食べ」

「でも、勝手に食べたら、」

「誰も気付かないよ。さあ、」

意思とは裏腹に、腹の虫の音はおさまらない。彼女は空腹に負けて、恐る恐る手を伸ばし、その実を受け取った。
齧ると、口の中に甘い汁が広がった。こぼれそうな果汁を慌てて啜る。腹が減っていただけでなく、喉も渇いていたことに気付かされた。夢中になって実を齧り、蜜を啜り、種と芯だけを残して、両手を合わせた。

「ごちそうさまです」

「目は覚めたかい」

「ええ、お陰様で」

「それは、よかった」

男はいつの間にか、白い蛇へと姿を変えていた。しかし、エンは驚かなかった。

「さあ、エン。『扉』を開けるんだ。君なら、可能だ」

その言葉に前を向くと、真正面に扉があった。ーー初めにこの部屋を見回した時、あの場所に扉なんてあっただろうか?
植物を連想させる洋風な装飾が施された茶褐色の扉。窓から射し込む光に照らされ、真鍮のドアノブが金色に輝いていた。
蛇はエンの腕を這い、首元まで移動すると、優しく囁いた。

「行こう、エン。君を、主の元へ導こう」

エンは頷き、立ち上がって前へと歩み出す。
扉の前まで近づくと、ドアノブの上に取り付けられている小さな金版に気が付いた。そこには次なる目的地の名が彫られている。
エンは躊躇うことなく手を伸ばし、その『扉』を開けた。


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